江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった!

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江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった!

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縄文の昔から、わが国は自然との共生を旨とし、営々とリサイクル社会を築き上げてきました。
そしてその集大成が、江戸時代でした。
江戸時代は、理想的なリサイクル社会だったのです!

江戸は17世紀の当時、世界最大の都市で、人口は100万に達していました。
17世紀の初めに江戸に幕府が開かれ、徳川直参の旗本たちの屋敷や全国300諸侯と言われた大名たちの屋敷が整備され、それらの需要をまかなうために日本全国からどんどん人が集まり、またそれらが需要を呼び、江戸は急速に肥大化の一途をたどっていました。
ところが、こんなに急速な発展を遂げたと言うのに、驚くべきことに江戸は当初から、同時代のロンドンやパリと言ったヨーロッパの大都市よりも、非常に清潔な町だったと言われています。
その秘密は、江戸が優れたリサイクルの町だったからだと言われているのです。
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幕末の浪人、三好俊之介が、江戸時代がどんなリサイクル社会を築いていたかをご案内します!

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l 私は三好俊之介と申します!
備後福山藩出身の浪人で、今は勝海舟先生にまとわりついて、日本の将来についての勉強をしています。
備後福山藩の殿様は、幕末、ペリー来航の折の巧みな外交で名老中として知られる阿部正弘だったのですが、私は殿の命令で長崎の海軍伝習所に赴き、そのときに勝先生とお知り合いになったのです。
後に殿が39歳という若さで早世なされたとき、伝習所は江戸の築地に移っていて、私は藩にお暇を頂いて浪人し、勝先生の門をくぐったのです。
21世紀の有限会社ヤスモトの代表者である三好一俊は、私の5代目の子孫という設定です (^_^;)

ということで、私、三好俊之介が、江戸時代がどんなリサイクル社会であったかを、わかりやすくご案内しましょう (=^-^=)ノ
何しろ私は浪人してからというもの、生活のためにあらゆるアルバイトを経験していますからね! いろいろ知っていますよ〜♪
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三好俊之介
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「 江戸時代は、理想的なリサイクル社会だった!」 をテーマにした、三好俊之介の、江戸時代リサイクル考!
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江戸時代の紙リサイクル事情! page1
江戸時代の庶民の家、長屋のトイレ(下肥)事情! page2
火事と喧嘩は江戸の華! 火事場のリサイクル! page3
様々な職業・・・物を大切にする江戸文化! page4
江戸時代に頂点に達した物を大切にする文化は、今いずこへ・・・ ( 1 ) page5
江戸時代に頂点に達した物を大切にする文化は、今いずこへ・・・ ( 2 ) page6
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やっぱり最初は、有限会社ヤスモトの主力、「 紙 」 でしょうか!

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Schliemann 日本は、紙に関しては、独特の優れた文化をもっていました。
私の生きている幕末、この時期に、あのトロイ遺跡の発掘で超有名なハインリッヒ・シュリーマンが、世界一周の途上、清国から足を伸ばして横浜と江戸を訪れています。
彼は旅行記で、そのときに見た日本の優れた文化と、日本の清潔さ、そして日本人の高潔さを称えています。 特に日本の前に訪れていたのが清国だったので、その対比が面白いですね。
その旅行記の中で彼は
「 スカーフやハンカチーフではない、- 中略 - そこに洟 ( はな ) をかむための和紙〔懐紙〕を入れている。 彼らは、この動作をたいそう優雅に行う。- 中略 - 彼らはわれわれが同じハンカチーフを何日も持ち歩いているのに、ぞっとしている。 」
とか、
「 日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない。 どんなに貧しい人でも、少なくとも日に一度は、町のいたるところにある公衆浴場に通っている。 」
とか、また他の部分には、
「 このながしの上には歯磨用の塩を入れた小さい籠が吊るされ、また吸取紙〔懐紙〕の大きな束も吊るされている。 紙は手や顔を拭くために使われる。 日本には布の手ふきはない。 紙は樹皮で作られ、吸取紙は使用後洗うことができるほど耐久性をもっている。 」
などと、紙に言及している部分があります。
( 講談社学術文庫 「 シュリーマン旅行記 清国・日本 」 ハインリッヒ・シュリーマン(著) 石井和子(訳) より引用 )
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Schliemann
さて、古来、物を大切にする文化を育んできた我が国では、紙一枚でも無駄にはしませんでした。
古くから行われてきた、使用済みの紙の有効な利用法としては、ふすまの下張りがあります。
ふすまや掛け軸の表装をする職業を平成の世では表具店と言いますが、江戸時代は経師 ( きょうじ ) と言いました。 中でもお城や大寺院への出入りを許された経師は、大経師と名乗っていたそうですよ。
ふすまは、表面には美しい絵を描いたり、文様を入れたりしていますが、その下には、木の骨組みに何層にも紙を貼って強度をつけているんです。
その下張りには、平成の世では新しい茶切り紙が使われますが、実は古い文書などがうってつけなんですね。。
下地に墨で書かれた文書を貼り付けると言うことは、その墨の成分が防虫の役割を果たして、虫除けになるんですよ。
何という古人の知恵でしょう!
古くは紙は、手紙や文書に使われるものが多かったですから、このような有効利用が行われたのです。
21世紀になって、古いお寺や旧家のふすまの修理などで、そこから思いもよらない貴重な歴史的文書が発見されたりというニュースは、たぶん私の5代目子孫も、時々目にしているでしょう (=^-^=)ノ
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俊之介のトイレ 江戸時代になると、先のシュリーマンの記述でも明らかなように、紙は庶民の生活の隅々にまで行き渡り、そうした使用済みの紙を回収する専門の業者も現れます。
そうして回収された紙は、手紙や文書などはやはりふすまの下張りに再利用されましたが、懐紙などは、21世紀のリサイクルと同じように溶かされ、また新しい紙によみがえると言う、再生利用も行われるようになっています。
確かに21世紀のように、墨などを抜く脱墨技術はまだありませんでしたので、再生された紙はねずみ色の紙だったのですが、江戸では 「 浅草紙 」浅草紙、京では 「 西桐院紙 」、大坂では 「 港紙 」 などという商品名で販売され、それは21世紀のトイレットペーパーのように使われていました。

そういえばこの幕末、日本からヨーロッパに大量に輸出された陶磁器の包装に使われたのが、浮世絵版画だったのです!
当時の日本では浮世絵は、21世紀のポスターや雑誌などと同じような消耗品。 それらを回収して、陶磁器を包む緩衝材として有効に利用したのです。
その包装紙であった浮世絵がヨーロッパ各地で大評判になり、あのフランスの画家のマネ印象派のモネ、それにゴッホなどに非常に大きな影響を与え、ジャポネズリ ( 日本趣味 ) やジャポニスム ( 日本心酔 ) と呼ばれる、日本文化に対する憧れをかき立てる一因になったのですから、日本の 「 再利用 」 文化も、思わぬところに影響を与えていたのですね。
( ジャポニスムは、一時的な流行に終わらず、美術界では30年以上にわたる美意識変革運動に
発展して、それは欧米ではルネサンスに匹敵する運動だと位置付けられているそうです。 )

それにしても江戸時代ともなると日本のエコロジーは、そこにリユースありリサイクルあり リサイクルとリユース と、さすがにTPOを心得たものだったのですね!
page2 に、つづく・・・

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江戸時代の紙リサイクル事情! page1
江戸時代の庶民の家、長屋のトイレ(下肥)事情! page2
火事と喧嘩は江戸の華! 火事場のリサイクル! page3
様々な職業・・・物を大切にする江戸文化! page4
江戸時代に頂点に達した物を大切にする文化は、今いずこへ・・・ ( 1 ) page5
江戸時代に頂点に達した物を大切にする文化は、今いずこへ・・・ ( 2 ) page6
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